カルビー──
素材の声を聴け、
じゃがいもが国民食になるまで
倒産、被爆、ゼロからの再起──松尾孝の「一人・一研究」がスナック菓子の王国を築いた
🔗 カルビー株式会社 公式サイト(https://www.calbee.co.jp/)前回のLesson 37では、花王から「消費者の声を聴き、正道で応える経営」を学びました。
長瀬富郎は品質を科学で証明し、花王エコーシステムで年間12万件超の声を資産に変えた。
キーフレーズ──「天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ」
「一人・一研究」── 松尾孝の原点
1912年、広島市に生まれた松尾孝。
実家は米ぬかや穀粉の製造販売を営んでいたが、父が相場で失敗し莫大な借金を抱えた。
18歳で家業を継いだ孝は、資金もなく新たな取引もできない──ゼロからの出発だった。
転機は、20歳の頃に参加した青年団の講習会。
そこで聞いた一言が、孝の人生を決めた。
あなたたち若者は
過去から未来を結ぶ鎖となり、
人生をかけて何か一つでもいいから
後世に残しうる仕事を成し遂げなさい。
「一人・一研究」
孝はこの言葉に打たれ、産業廃棄物だった米ぬかから健康食品を作ることを自らの「一人・一研究」に定めた。
戦時中、胚芽粉と野草を混ぜた団子を代用食として販売──多くの人々に喜ばれた。
社名「カルビー」はカルシウムの「カル」+ビタミンB1の「ビー」。
「人々の健康に役立つ食品を作りたい」という想いそのものだった。
1945年、広島に原爆が投下される。
自宅は爆心地から約1.5km──奇跡的に家族全員が生き延びた。
全てを失い、ゼロからの再出発。
1953年には不渡りで倒産も経験したが、債権者に「必ず返済する」と宣言し、
1955年、新会社「カルビー製菓」として再スタートを切った。
商売は人助け。おいしくて健康に良い商品を作ることが、私の使命です。
問題:スナック菓子で生き残る、4つの壁
カルビーは「かっぱえびせん」で中小企業から成長企業へ飛躍した。
しかし、スナック菓子市場には特有の壁が立ちはだかっていた。
- 看板商品の限界──「かっぱえびせん」の売上は1971年を境に減少。一本足打法の危うさ
- 鮮度の壁──ポテトチップスは油の酸化が天敵。当時の包装技術では品質を保てない
- 原料の不安定──じゃがいもは天候に左右される農産物。安定供給の仕組みがない
- 価格の常識──他社は1袋120〜150円。「100円で売る」は社内からも猛反対
未利用の食糧資源を活用する──この考え方が、カルビーの全ての商品の出発点です。
対策①:「かっぱえびせん」── 未利用資源を国民食に変える
カルビーのDNAは、1964年発売の「かっぱえびせん」に凝縮されている。
ある日、松尾孝は瀬戸内海で小えびを干している光景を見てひらめいた。
子ども時代、「えび獲り名人」と呼ばれるほどえび獲りが得意だった孝。
母が作ってくれた小えびの天ぷらが、何よりのご馳走だった。
「大好物のえびを、小麦あられに入れられないか」──直感が商品を生んだ。
困難を極めた試行錯誤の末、「自然のおいしさを丸ごと使用する」という哲学が確立。
浜で揚げたえびをすぐに冷凍する鮮度管理、
「やめられない、とまらない。」のCM──かっぱえびせんは100億円規模のヒットとなった。
「未利用の食糧資源を活用する」── カルビーの全商品を貫く哲学
米ぬかの胚芽→代用食、小麦粉→かっぱあられ、小えび→かっぱえびせん、じゃがいも→ポテトチップス。捨てられるはずだった素材、使われていなかった資源を、おいしさに変える。それがカルビーの一貫した発想。
副業でも同じ。あなたの周りに「使われていない資源」はないか? 既存のスキル、眠っているコンテンツ、捨てられている素材──カルビーのように「未利用資源」に価値を見出す目を持とう。
対策②:ポテトチップス革命 ── 鮮度で業界の常識を壊す
1967年、かっぱえびせんの国際博覧会出展でニューヨークを訪れた松尾孝。
食料品店で山積みのポテトチップスを見て、衝撃を受ける。
「次はこれだ」──構想を温め、1975年「カルビーポテトチップス うすしお味」を発売した。
だが、発売当初はまったく売れなかった。
そこで松尾孝が打った手は、業界の常識を根底から覆すものだった。
製造年月日は表示しない
透明フィルムで中身を見せる
1袋120〜150円
卸・問屋に任せる流通
日本の菓子で初の製造年月日刻印
アルミ蒸着フィルムで鮮度を守る
90g・100円の戦略的低価格
自社物流で鮮度を管理
製造年月日の表示は問屋や小売店から猛反発を受けた。
アルミ蒸着フィルムも「中身が見えない菓子は売れない」と嫌われた。
しかし松尾孝は譲らなかった──「お客様においしいものを届けたい」。
1976年、新体制での再出発が爆発的なヒットにつながった。
3年目で単品200億円の売上を達成。
1980年代にはポテトチップス市場シェア約75%を獲得。
製造年月日の刻印もアルミ包装も、やがて菓子業界の常識になった。
業界に反発されても、
消費者に正しいことをすれば
必ず常識は変わる。
副業でも同じ。「業界の常識」に違和感を覚えたら、それはチャンス。カルビーは鮮度という「当たり前の品質」を武器にした。あなたの副業でも、顧客が本当に求めていることを愚直にやり切れば、周りの常識のほうが変わる。
対策③:農工一体 ── 契約農家と「素材の鎖」を築く
ポテトチップスの爆発的なヒットは、新たな課題を生んだ。
原料のじゃがいもが足りない──。
1980年、カルビーは原料部門を分離独立させ「カルビーポテト」を設立。
契約栽培やトレーサビリティがまだ存在しない時代に、
農協を通さず、生産農家と直接契約するという革新的なモデルを築いた。
カルビーポテト── 畑から工場まで一気通貫のサプライチェーン
ウェザーステーション(気象観測装置)を畑に導入し、日照・気温・湿度・土中水分量を計測。データを解析して契約農家にフィードバック。さらに専用貨物船「ポテト丸」でじゃがいもを最適環境で海上輸送。原料の品質と安定供給を「仕組み」で守った。
農協との対立は激しく、一時は関係修復不可能な状況にまで陥った。
だがカルビーは農家と共に歩む「農工一体」の姿勢を貫き、
栽培技術の向上と品質管理を生産者と二人三脚で進めた。
結果、他のどの菓子メーカーにも真似できない原料の競争優位を手にした。
注目すべきは「じゃがりこ」の誕生。
ポテトチップスの規格に合わないじゃがいもを、さらに活用することで生まれた商品。
「未利用資源の活用」というカルビーのDNAが、ここでも発揮されている。
副業でも同じ。「素材の鎖」を握った者が最強になる。カルビーは原料を自分でコントロールする仕組みを作った。あなたの副業でも、サービスの「原材料」──スキル、知識、人脈、データ──を他者に依存せず自前で確保できる仕組みを考えよう。
解決:一人の「ひらめき」が、3,226億円の帝国に育った
原爆で全てを失い、倒産も経験した男が、
米ぬかの団子から出発し、小えびのひらめきで「かっぱえびせん」を生み、
ニューヨークの衝撃からポテトチップス革命を起こし、
農家と直接契約する独自のサプライチェーンを築いた。
海外事業も拡大を続け、北米・英国・中華圏・インドネシアなどグローバルに展開。
2025年1月には最新鋭マザー工場「せとうち広島工場」が稼働。
創業の地・広島から、カルビーは新たなステージへ進んでいる。
教訓:副業に活かせる「カルビーの本質」
カルビーの本質は、“未利用資源に価値を見出し、鮮度と仕組みで圧倒する”こと。
これは規模に関係なく、副業・個人ビジネスにも応用できる。
「未利用資源」を探せ ── 価値は足元にある
カルビーは米ぬか、小えび、じゃがいも、規格外品──捨てられていたものに価値を見出してきた。あなたの副業でも「まだ使われていない資源」は必ずある。
- 自分が持っているのに「商品化」していないスキルを棚卸しする
- 本業で得た知識や経験を、別の市場で活かせないか考える
- 「規格外品」──失敗した企画やボツアイデアを再活用する
「ゴミの中に、宝が眠っている。」
「鮮度」で差別化しろ ── 品質の妥協は自滅への道
カルビーは製造年月日の刻印とアルミ包装で業界の常識を書き換えた。反発されても「消費者に正しいこと」を貫いた。
- サービスの「鮮度」──情報の速さ、対応のスピード──を武器にする
- 業界の常識に疑問を感じたら、顧客目線で正しい方を選ぶ
- 短期の反発を恐れず、長期の信頼を勝ち取る
「常識に逆らっても、顧客に正しいことをすれば勝てる。」
「素材の鎖」を握れ ── 原料を支配する者が勝つ
カルビーは契約農家・専用貨物船・気象データ解析で原料の競争優位を築いた。
- あなたのサービスの「原材料」は何かを特定する
- その原材料を他者に依存せず、自前で確保できる仕組みを作る
- 仕入れ先・協力者との関係を「共に育つパートナーシップ」にする
「川上を握った者が、川下を制する。」
「一人・一研究」── 人生を賭ける一つのテーマを持て
松尾孝は「未利用資源で健康に役立つ食品を作る」というたった一つのテーマに生涯を捧げた。
- あなたの副業の「一人・一研究」は何か、言語化する
- ブレない軸があれば、商品もサービスも自然と一貫する
- テーマに忠実であれば、それ自体がブランドになる
「軸がある者は、迷わない。」
📋 今日からできるカルビー式 副業改善
🔗 まとめ:カルビーが築いたのは、「素材への敬意を、仕組みで届ける経営」
原爆と倒産を乗り越えた松尾孝が、
「一人・一研究」の志で米ぬかの団子から出発し、
小えびのひらめきで「かっぱえびせん」を生み、
鮮度革命でポテトチップス市場を制し、
農家と手を組んで「素材の鎖」を築き上げた。
未利用資源に価値を見出す目。
顧客に正しいことを貫く意志。
それが、3,226億円の帝国の礎。
次回は「キッコーマン」。
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