【経営者の生きざま No.94】アンソニー・タン──「不便」を見つけた者が次代の市場をつくる

この人物を取り上げる理由
「東南アジアのウーバー」と称されることもあるが、それはアンソニー・タンの本質を見誤った表現だ。
Grab(グラブ)の共同創業者兼CEOであるタンは、ライドシェアにとどまらず、フードデリバリー・金融・医療・地図情報まで統合した「スーパーアプリ」を東南アジア8カ国に展開し、2021年にはSPAC合併による米ナスダック上場で約400億ドルの企業価値を打ち立てた。
なぜ彼を副業・個人ビジネスの文脈で取り上げるのか。理由は明快だ。タンは「大手コンサルの御曹司」でありながら、ハーバードMBAの授業の課題として小さなアイデアを起こし、最終的にそれを東南アジア最大級のテック企業へと育て上げた。スモールスタート・課題の実証・資源の組み合わせ──この三段階こそ、副業や個人ビジネスを伸ばすための普遍的な方程式である。
── アンソニー・タン
人生の軌跡
マレーシア・クアラルンプールで生まれる。父はタン・チェン・ヴーン、マレーシアの大手自動車販売グループ「タン・チョン・モーター」の御曹司。裕福な環境に育ちながらも、日常的に公共交通機関の不便さを目の当たりにする。
ハーバード・ビジネス・スクール在籍中、同級生のタン・ホイ・リンとともに「MyTeksi(マイテクシー)」を起業。HBSのビジネスプランコンテストで2位入賞。「授業の課題」から生まれた小さなアイデアが、東南アジアを変える種になる。
マレーシアでタクシー配車アプリ「GrabTaxi」をローンチ。当初はドライバーの安全確保と乗客の信頼構築を最優先に設計。シンガポール・フィリピン・タイへ急速に展開し始める。
東南アジアから撤退するUberの事業を買収。一夜にして東南アジア最大のライドシェア企業へ。同時にGrabFood・GrabPay・GrabFinanceなど「スーパーアプリ」構想を本格化。
SPAC(特別目的買収会社)合併によりナスダックへ上場。上場時の企業価値は約400億ドル(約4.4兆円)。東南アジア発テック企業として史上最大規模のSPAC上場を達成。
CEO兼筆頭株主として事業を牽引。デジタルバンキング・医療・AIを統合した次世代スーパーアプリの構築を推進。東南アジア6億人以上の「デジタルインフラ」を担うプラットフォームとして進化中。
思考法①:「不便の解像度」を上げる
タンがGrabを着想したのは、「タクシーが捕まらない」という単純な不満からではなかった。
彼が見ていたのは構造的な問題だった。東南アジアのタクシー業界は、ドライバーの収入が不安定で、乗客は安全性に不安を抱え、現金決済のみで記録も残らない。その三重苦を同時に解決する設計こそが、Grabのコア価値だった。
副業においても「なんとなく需要がありそう」という直感ではなく、「誰が・なぜ・どの程度・どのコストで困っているか」を解像度高く捉えることが、ビジネスの持続力を決める。
「不便」は3層で分解せよ──表層・構造・感情
タンはタクシー問題を①物理的不便(捕まらない)②経済的不公正(ドライバーの収入不安定)③心理的不安(安全性への懸念)の3層で捉えた。この三層分解はどんな業界にも応用できる。「なぜ不便なのか」を表面だけで止めず、構造と感情の層まで掘り下げることで、競合が気づいていない本質的なニーズが見えてくる。副業の差別化ポイントは、たいてい感情の層に隠れている。
- ▶ 「なぜ困っているか」を5回深掘りする「WHY5」を習慣化する
- ▶ ターゲットの「感情的ペイン」を言語化し、それをサービス説明の冒頭に置く
- ▶ 競合が解決していない「構造的問題」を一つ見つければ、それだけで差別化の根拠になる
思考法②:ローカル最適から始めてグローバルへ展開する
タンはシリコンバレーのモデルをそのまま輸入しなかった。
Uberが「世界標準」で東南アジアに乗り込んだのに対し、タンは「東南アジアの現実」を出発点にした。現金払いへの対応、バイクタクシー文化の取り込み、低スペックスマートフォンでも動くUI設計。「現地に最適化することが、最大の参入障壁になる」という発想だ。
これは副業においても重要な視点だ。「全国展開」「海外展開」を夢見る前に、まず自分のいるコミュニティや地域で圧倒的に信頼される存在になること。ローカルで勝てない者が、広域で勝てる可能性は低い。
「最小単位で圧倒的」を積み重ねる拡張戦略
Grabはクアラルンプールのタクシードライバーとのリレーションシップを徹底的に構築してから、次の都市へ展開した。「一つの市場で信頼を作ってから横展開する」というモデルは、スタートアップだけでなく個人の副業でも有効だ。SNSのフォロワーを全国で広く集めようとする前に、特定のコミュニティで「この人といえば○○」という強いイメージを確立する。その評判が口コミで広がるとき、初めて横展開のコストが劇的に下がる。
- ▶ 最初の顧客10人に全力を尽くし、「この人に頼んでよかった」という体験を作る
- ▶ 自分が最も詳しいニッチ市場で「第一想起」を取ることを最初の目標に設定する
- ▶ 横展開は「既存顧客の紹介が自然に起きている」サインが出てから考える
思考法③:「プラットフォーム思考」でレバレッジをかける
タンの最大の発明は、ライドシェアではなく「スーパーアプリ」という概念だ。
一度獲得したユーザーの信頼とデータを起点に、食事・決済・保険・融資・医療まで次々とサービスを積み重ねる。これにより、一人の顧客が生涯にわたって複数のサービスを使い続ける「エコシステム」が生まれる。
副業においても、単品サービスの提供に終始していては収入は頭打ちになる。一つのサービスを入口にして、信頼を蓄積し、関連サービスや情報商品・コミュニティへと水平展開する発想こそが、労働時間を増やさずに収益を伸ばす鍵だ。
一点突破→信頼蓄積→エコシステム化という成長の三段階
Grabは「安全なタクシー配車」という一点で信頼を獲得し、その信頼を担保にGrabPayという決済インフラを導入した。決済データを持つことで融資・保険・医療への展開が可能になった。副業でも「初回サービス→継続サービス→情報発信→コミュニティ」の順に、顧客の信頼を深化させながら提供価値を拡張していく設計が機能する。大切なのは、各ステップで「顧客が得るベネフィット」を先に考えることだ。
- ▶ メインサービスに関連する「次の一手」を今から3つリストアップしておく
- ▶ 顧客との接点(メルマガ・LINE・SNS)を資産として管理し、関連提案に活用する
- ▶ 「この人から買いたい」という個人ブランドが最強のエコシステムの核になる
「不便」を解像度高く捉え、ローカルの信頼から始め、プラットフォームへと進化させる。
タンが証明したのは、アイデアの大小ではなく「実行の深さ」が市場を制するという真実だ。
副業も起業も、最初の一歩は「誰かの困りごとを本気で解決する」ただそれだけでいい。
あなたへの問いかけ
- ▶ あなたが今日感じた「不便」や「もどかしさ」を、3層(物理・構造・感情)で書き出せるか?
- ▶ あなたの副業やスキルが「第一想起」される特定のコミュニティや領域は、今どこにあるか?
- ▶ 今のメインサービスを「入口」とするなら、次に提供できる価値は何か?顧客が自然に求めるものを想像してみよう。
次回:ウィリアム・タヌウィジャヤ






