サントリー──
やってみなはれ、
文化を創った挑戦者
鳥井信治郎の「やってみなはれ」が、125年続く3兆円グローバル食品酒類帝国を築いた
🔗 サントリーホールディングス公式サイト(https://www.suntory.co.jp/)前回のLesson 34では、日清食品から「ゼロから市場を創る本質」を学びました。
安藤百福は47歳で無一文から出発し、チキンラーメンで市場を発明、カップヌードルで世界100カ国に展開。
キーフレーズ──「存在しない市場を、自分で創る」
「大阪の鼻」── 鳥井信治郎の原点
1879年、大阪市に生まれた鳥井信治郎。
13歳で薬種問屋「小西儀助商店」に丁稚奉公に入った。
そこで信治郎は、輸入された葡萄酒や薬品の調合に没頭する。
10代の大半を嗅覚と味覚の鍛錬に費やし、やがて「大阪の鼻」と呼ばれるようになった。
1899年、20歳で独立。「鳥井商店」を開業し、ぶどう酒の製造販売を始める。
最初にスペインから輸入した葡萄酒を売り出したが、渋く酸味が強すぎて大失敗。
しかし信治郎は打たれるほど闘志を燃やした。
試作に次ぐ試作の末、1907年──「赤玉ポートワイン」が完成する。
日本人の味覚に合わせた甘さと美しい色。大ヒットとなり、サントリーの礎が築かれた。
やってみなはれ。やらなわからしまへんで。
社名「サントリー」は、Sun(太陽=赤玉)とTorii(鳥井)の合成語。
太陽のように人を照らし、文化を創る──その志は125年経った今も脈打っている。
問題:「誰もやらないこと」への挑戦
赤玉ポートワインの成功で、信治郎は次なる野望を抱いた。
「日本で本格的なウイスキーをつくる」──。
しかし、その前には巨大な壁が立ちはだかっていた。
- 市場が存在しない──当時の日本人はウイスキーをほぼ飲まない。日本酒と焼酎の国
- 技術がない──ウイスキー蒸溜の知見が日本に皆無。スコットランドの独壇場
- 時間がかかる──ウイスキーは蒸溜してから何年も熟成が必要。すぐには売れない
- 周囲の猛反対──「無謀だ」「金をドブに捨てるようなもの」と社内外から批判
わしがウイスキーをつくるのは、日本の事業家が誰一人手を出そうとせんからや。
日本でもウイスキーがつくれることを実証したいんや。
対策①:「国産ウイスキー」── 無謀な夢を100年ブランドに
1923年、信治郎は京都府大山崎町に「山崎蒸溜所」を建設した。
赤玉ポートワインで得た利益のほぼすべてを注ぎ込んだ、社運を賭けた挑戦。
最初のウイスキー「白札」は、スコッチの忠実な再現を目指したもの。
しかし日本人には煙臭いと不評だった。
スコッチの忠実な再現
日本人には煙臭すぎる
欧米の味をそのまま輸入
日本人の繊細な味覚に合わせる
豊かな香味と飲みやすさを両立
日本の風土で育つウイスキー
蒸溜所建設から14年。
信治郎は試行錯誤を重ね、ついに日本人の味覚に合うウイスキーを完成させた。
角ばったボトルから「角瓶」と愛されるようになったその一本が、国産ウイスキーの歴史を変えた。
そして戦後、庶民でも楽しめる「トリスウイスキー」を発売。
全国に「トリスバー」が広がり、ウイスキーは大衆文化になった。
自分の仕事が大きくなるか小さいままで終わるか、
やってみんことにはわかりまへんやろ。
副業でも同じ。「誰もやっていない」からこそチャンスがある。最初は失敗して当たり前。信治郎は14年間の試行錯誤を経て成功した。あなたの副業でも、最初の「白札」が売れなくても、顧客の声を聴き続ければ「角瓶」にたどり着ける。
対策②:「寡占市場への参入」── ビール事業46年の執念
1963年、2代目社長・佐治敬三はビール事業に参入した。
キリン・アサヒ・サッポロの3強が支配する寡占市場。
「勝てるわけがない」と誰もが思った。
「ビール事業への挑戦」── 45年赤字の末に黒字化
サントリーのビール事業は1963年から約45年間、赤字を続けた。しかし一度も撤退しなかった。「やってみなはれ」の精神が、組織の忍耐力を支えた。
転機は2003年発売の「ザ・プレミアム・モルツ」。
素材と製法にこだわり抜いた高品質ビールは、2005年にモンドセレクション最高金賞を受賞。
消費者の「ちょっと贅沢」なニーズを捉え、プレミアムビール市場を切り拓いた。
さらに2023年発売の「サントリー生ビール」がヒット。
ビール事業はついに黒字化を果たし、国内酒類市場を牽引する存在になった。
副業でも同じ。結果が出るまでに時間がかかることもある。重要なのは「撤退しない」ことではなく、「改善し続ける」こと。45年かかったとしても、信念を持ち続けた者だけが、市場を動かせる。
対策③:「1.6兆円の大勝負」── ビーム買収とグローバル化
2014年、サントリーは世界を驚かせる一手を打つ。
アメリカのバーボンウイスキー大手「ビーム社」を約1兆6,000億円で買収したのだ。
「ジムビーム」「メーカーズマーク」などの世界的ブランドを傘下に収め、
サントリーは一気に世界第3位のスピリッツ企業へ躍進した。
2024年4月には「ビームサントリー」を「サントリーグローバルスピリッツ」に社名変更。
買収から10年で売上は2倍強、営業利益は2.5倍にまで成長した。
売上約1.8兆円
国内中心の酒類・飲料企業
海外売上比率は低い
売上約3.4兆円(2倍超)
世界第3位のスピリッツ企業
海外売上が約50%に
副業でも同じ。自力での成長だけが正解ではない。パートナーシップやM&A的な発想──つまり「既にあるものを取り込む」という選択肢もある。コラボ、業務提携、外部リソースの活用。副業でも「1.6兆円の大勝負」的な発想で視野を広げよう。
解決:「やってみなはれ」が築いた、世界のサントリー
サントリーは、20歳の青年が大阪で開いた小さな酒屋から始まった。
赤玉ポートワインで洋酒文化を拓き、ウイスキーで「飲む文化」を創り、
ビールで寡占市場に風穴を開け、ビーム買収で世界に挑んだ。
2024年度は売上収益・営業利益ともに過去最高を更新。
2025年3月には創業家出身の鳥井信宏が新社長に就任し、さらなるグローバル化を推進する。
125年の歴史を貫く一本の軸──「やってみなはれ」。
この言葉が、文化を創り、市場を動かし、世界を変えてきた。
教訓:副業に活かせる「サントリーの本質」
サントリーの本質は、“文化そのものを創り出す”こと。
これは副業・個人ビジネスにもそのまま応用できる。
「やってみなはれ」── まず動け、考えるのは走りながら
信治郎は「やらなわからしまへんで」と言い続けた。完璧を待たず、まず始めることがすべての起点。
- 100%の準備を待っていたら、一生始められない
- 最初の「白札」は失敗していい。改善すればいい
- 「やってみなはれ」は自分自身への許可証
「動いた者だけが、次のステージに立てる。」
「文化を創る」── 商品ではなく、ライフスタイルを売る
サントリーは単にウイスキーやビールを売ったのではない。「洋酒を楽しむ文化」そのものを創った。
- トリスバーで「ウイスキーを飲む場」を提供した
- ハイボールで「食事と一緒に楽しむスタイル」を提案した
- 商品を売るな、体験を売れ
「文化を創れば、市場は自然にできる。」
「長期視点」── 45年赤字でも撤退しない覚悟
ビール事業は45年間赤字でも、サントリーは一度も撤退しなかった。
- 短期の数字に一喜一憂しない
- 「改善し続ける」ことが撤退しない条件
- 非上場企業だからこそ可能な、長期的な経営判断
「信じ続けた者だけが、最後に笑う。」
「利益三分主義」── 事業・顧客・社会で分け合う
サントリーの経営理念「利益三分主義」は、利益を事業、顧客、社会に還元するという考え方。
- 自分だけが儲かるビジネスは長続きしない
- 顧客と社会に還元するから、信頼が生まれる
- 「水育」や文化事業など、事業を超えた貢献がブランドを強くする
「還元する人のまわりに、人は集まる。」
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🔗 まとめ:サントリーが築いたのは、「文化を創る経営」
20歳で独立し、赤玉ポートワインで洋酒文化を拓き、
国産ウイスキーを14年かけて完成させ、
ビール事業に45年の赤字を耐え抜き、
1.6兆円の大勝負でグローバル企業へ飛躍した。
「やってみなはれ」──それが125年続く挑戦の源泉。
文化を創り、信じ続け、還元する人が、
長く、強く、選ばれ続ける。
次回は「ヤクルト」。
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